信州リンゴ狩りの序でに二座
霜月半ばは10数年来 信州須坂のリンゴ栽培農家(≠観光リンゴ園)で
リンゴ狩りそして贈答依頼するのが恒例の我が家です。
今年もその時期が到来。
11月11日(日)
3年前から長岡市の山仲間、T中夫妻 T橋夫妻も一緒に参加。
この日も
2台の車で十日町経由で信州須坂へ
気の置けない山仲間との行動、リンゴ狩りだけでは終わりません。
天気も良いし志賀高原にある手頃な山【坊寺山(1839.5m)】に立ち寄りです。
木戸池を通過、平床から右折、旧 石の湯温泉跡の先に登山者用Ⓟが有ります。
Am 08:35 登山口
我らの他に誰も居ません。
白樺 岳樺 混合林
角間川に架かる橋を渡りジグザグに前進。
暫く進めば70m沢登りの標柱が建てられています。
70m沢登り
岩ゴロゴロの湿地帯ではあるものの涸沢状態で沢登りの雰囲気は有りません。
沢の曲がり角、右手前方には小帯岩の岩壁がそそり立っています。
その底部の台地には我らの方を凝視する羚羊ちゃん(お出迎え?)
カモシカ(羚羊)ちゃんのお出迎え
周辺はいつの間にかコメツガの樹林帯に代わっています。
急登
短い急登を登り切れば笹林床の稜線へ出ます。途中、【小坊寺山】分岐確認。
稜線まで出れば傾斜も緩やかになりやがて山頂に到着。
Am 09:37-10:14 坊寺山山頂
坊寺山山頂
三等△点設置。
天気はそこそこなれど下の方からガスが湧きだし陽の光も弱く展望は得られず。
近くの【横手山】【岩菅山】さえもぼや~ッ
ガス晴れず展望利かず
内心期待していた北アの展望も願いむなしく・・・
眼下 木戸池周辺
展望期待して暫く小腹を満たしたり、コーヒを飲んだ利しながら時間を潰すも
スッキリと晴れる見込みは殆ど無しと判断。
この日はリンゴ狩りが主目的、【小坊寺山】は廻らずそのままピストンで下山。
急登下山
70m沢登りの苔むした小岩で滑らない様にゆっくりと下山。
ZIGZAGに緩やかな道を下ります。
Am 11:00 登山口
角間川にかかる木橋
ジィ~ジにとってはお初の一座。
今回は標高差≒260m 誰でも歩ける手頃な山。静かさ満喫!!
若し此の先にも機会が有れば次回は【小坊寺】まで周回したきもの。
085(86)-30
… … … … … … … … … …
志賀高原を急降下して一路、中野市から小布施、そして目的の須坂へ
Pm 00:15~ リンゴ狩り
10数年通っているリンゴ農家。(≠観光農園)
口コミで客の殆どは新潟から、園主に聞けば午前中だけで100人強とか・・・
農協やスーパーには卸さず、得意先の依頼での贈り物が主体で減農薬栽培。
真っ赤に色づいた‘さん富士’
とは言え、今年は台風の被害で3割近く落下で大損害とか・・・嘆く園主です。
同行のT中夫妻T橋夫妻も自分の分を狩り終え、、我が家の分もお手伝い
贈り物の手配の他、親戚からの頼まれ分を含め大きなビニール袋に8袋購入。
車のトランクと後部座席に嵩ね置きして満杯状態。これ以上積めません。
山の手にあるリンゴ園からは天気が良いと北アの秀峰が見られるのに
山にはガスが湧き出しているのか?この日は展望が叶わず一寸残念。
今回の重要目的リンゴ狩りを終えて、今宵の塒である松代へ向かいます。でお泊りです。
温泉ホテルにチェックインしてもまだまだ明るく夕食までにも時間はイッパイ。
折角なので周辺の散策を試みる我らです。
信州上田から13万石で移封された真田信之からその後の明治維新まで
松代の藩庁とされた松代城跡へ向かいます。
戦国時代は武田信玄に築城を命ぜられた軍師山本勘助が拘わったとの謂れ。
当時は海津城と呼ばれ、川中島の合戦始め武田家の前衛の役目を担い
その後、幾多の変を経て最後は真田家の居城として明治維新まで。
関連記事は⇒コチラ
散策終えてホテルへ戻り温泉に入浴 サッパリと汗を流せば部屋へ戻り
早速冷えたビールで乾杯
夕食時にもしっかり飲んで食べて、山談義 部屋へ戻って又、飲み直し
しっかりと飲んで床に就く我です。
☆*:;;;;;;:*☆*:;;;;;;:*☆*:;;;;;:*☆*:;;;;;:*☆*:;;;;;;:*☆*:;;;;;;:*☆*:;;;;;:*☆*:
翌日です。
11月12日(月)
ホテルでユックリと朝食を終えて、「扨て今日は何処へ行こうか」と相談。
帰り道から近い晩秋の信越トレイルのセクションも捨てがたいものの
空模様は新潟方面はイマイチの情報。
一方松代周辺は爽やかに晴れています。
HOTELから近い【尼巖山(あまかざりやま)790.9m】に決定。
Am 09:48 長礼・天王山登山口
少し解り辛い案内図
コースが幾つも有り極めて良くわからない案内標識。
一寸休憩
小春日和の穏やかな木漏れ日を受けながら小休止。
此の先から岩場の急登が始まります。
巨大な岩壁 辰巳岩?
大岩壁の裾をトラバース気味に高度を上げて行きます。
時折足場の悪い急崖も!
大岩壁を廻り込んでやがて山頂へ
Am 10:58-PM 00:03 尼巖山山頂
北信の山々 乙妻山高妻山妙高山
鎌倉時代に築城され1598年廃城になった山城。
山頂には別のコースからの二人連れ女性と、この山が好きで100回登ったと言う
旦那さんの遺影をザックから出して旦那様を偲ぶご婦人。
我らも敷物敷いて小一時間かけて簡単にお昼とします。
下山は山城の名残を残す堀切など急な足場の悪い道も混ざる南コース?
結構急勾配
所々にロープも張られています。
落ち葉
黄葉が見事、足下もフカフカで心地良し。
巨岩累々
T中夫妻
善光寺平や長野盆地を俯瞰します。
急登
天然の急峻な地形を利用した山城。危険個所には鎖が張られています。
周辺には冬を間近に迎える色づいた樹木とその落ち葉が恰もベッド様。
麓集落
眼下に麓の集落が見られます。
Pm 01:27 登山口 登山届ポスト
出発点到着。
距離は短いもののフカフカの落ち葉重なる気持ちの良い道と、岩稜帯の急登
そして山頂からは北信5岳始め、北アの山並みの展望、距離は短いものの
変化にとんだ面白い一座と思うジィ~ジです。
※実は別コースから10年ほど前、【尼巖山】そして隣の【奇妙山(1009.5m】
歩いたことが有るもののその時は夏場で兎に角、暑かった記憶のみ。
086(87)-30
リンゴ狩りの序に立ち寄った手頃な山二座、幸いこの時期にしては珍しいほどの
好天に恵まれ、思う存分に歩くことが出来、改めて健康に感謝です。
小布施SAでT中さんT橋さんとお別れ、中野ICから飯山 栄 そして十日町経由で
新潟へ向かいます。
栄村から相方が運転、帰路立寄りは長岡市義弟宅と義妹宅へ立ち寄り
頼まれたリンゴを下ろします。
義弟宅ではジィ~ジにお茶代わりの 美味しく戴くジィ~ジです。
運転は相方にお任せで有難い身分に感謝感謝のジィ~ジです。
夕食は途中立寄り珍しく
で済ませる我らです。
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コメント
かあちゃんさま
いつもありがとうございます。
長野リンゴ 特に今の時期のサン富士は蜜が入り特に
旨いと思っています。
志賀高原は新潟からも近く、魅力一杯のところなので
来年是非お出かけお薦めします。
高原 湖沼 良い処満載です。
投稿: 輝ジィ~ジ | 2018年11月28日 (水) 08:30
こんばんは。
今りんごをかじりながら読んでいました。
長野のりんごはやっぱり美味しいですよね。
しかし、長野のお山も・・・色んな山に行かれますね、すごいなあって思いました。
志賀高原方面は行ったことがないけど、よさそうな山が色々あるのですね。
投稿: かあちゃん | 2018年11月26日 (月) 20:10
もうぞうさま
お早うございます。
信州も山がイッパイ。
手頃な山も多いですよ。何しろ広いですから
リンゴ狩りの目的の二日間天気に恵まれたっぷり遊べました。
今回の2座は変化に富んで更に戦国の往時も偲ばれる楽しい山歩きでした。
投稿: 輝ジィ~ジ | 2018年11月23日 (金) 10:43
手頃な山で2座とは言え、強行だな~と思ったんですが、泊まりだったんですね。
両日とも天気に恵まれてなによりでございました。
聞いたことさえ無い山名ですが、良さそうな山ですね。
投稿: もうぞう | 2018年11月23日 (金) 07:11
FUJIKAZE さま
こんばんは~ いつもありがとうございます。
尼巌城址は鎌倉時代につくられ1598年に廃城と記されていました。
川中島が眼下に観られ山城の目的が良く解ります。
隣の奇妙山から妻女山が間近に見られます。
尼巌山は数多くのコースがありますが松代の各登山口から
何れも1時間半ほどで登れる手頃な山なので、何かの折に
是非立ち寄りお勧めします。
投稿: 輝ジィ~ジ | 2018年11月20日 (火) 21:53
こんばんは!
松代城址、懐かしいです。
3年前の長野-上越旅行で行きました。
拝見していると、また川中島を散策してみたくなりましたよ。
尼巖城址は、鎌倉時代に廃城と説明がありましたか?
当に川中島合戦の時代、あの城には、武田信玄に信濃を逐われた村上義清の一族である東城(ひがしじょう)一族が上杉方として立てこもりました。
第一次川中島合戦の前に真田幸隆(真田信之の祖父)が、武田信玄の厳命を受けて攻めましたが落とせず、第二次川中島合戦の前に、当に真田家の命運を賭けて再び攻め、春日虎綱(高坂弾正)の援軍を受け入れた末に、一ヶ月もかかってようやく落とした城です。
切りたった断崖に囲まれた要害堅固な山城で、川中島地方を制するためには戦略上の要衝だった城だったとのことです。
写真を拝見すると、なるほどねぇって思いますよ。
巨大な岩壁が聳えて、頂上からは妙高山まで一望。
謙信公が川中島へ押し出して来る様子が、ここからなら手に取るように分かったのでしょうねぇ。
ワクワクします。
良いなぁ、も登ってみたいですよ。
投稿: FUJIKAZE | 2018年11月20日 (火) 20:23