日記代わりのメモなれば
拙駄ブログ、こんな非常時に言い訳としか取れないかもしれませんが、
毎日日記を継続できない自分にとってのメモ “備忘録”です。
3月11日(金)
昼前の北陸自動車道 敦賀付近通過、米原JC手前付近までは、時ならぬ
春の雪、それも相当な降り模様。既に普通タイヤに替えた車も多いらしく、
高速道もノロノロと渋滞発生。
それでも正午過ぎに多賀SAで船橋からの義弟夫婦の車と合流。
5人乗せた我が家の車と2台で、京都へ。
目的は、門徒なれば、一昨年亡くなった義母の本願寺廟への分骨納骨です。
予定通り、読教してもらい納骨完了。
折角なので車で西本願寺へ。
(写真 左) 阿弥陀堂
(写真 右) 逆さいちょう 「水吹き銀杏」
境内を散策し終え、車に乗った途端、東北地方で大地震発生!!
大津波が押し寄せ、車なのも流されているというニュースが耳に。
しかし相当おおきな地震とは思われ、場合に寄れば老朽化した我が家も
なにか家財が散乱したかも…と気になるも、正直その時点では実感湧かず。 聖徳太子縁の 八坂五重塔
参寧坂
北政所ねねが子供誕生を念じて歩いたと言われる安産祈願の坂道。
予約した宿は、五条のホテルS。
チェックインして早速部屋のTVを点けて見れば、大津波の凄まじい状況が。
あまりの惨劇に現実とは思われないような…状況判断も出来ません。
夕食の次から次と出てくる美味しい京懐石料理。
離れた東北地方では大惨状。ちぐはぐな感じは覚えるも為す術有りません。
食事を終えて呆然と部屋でTVを見ているだけ。。。
3月12日(土) 晴
明け方、留守をしていた義弟の長男から新潟中越でも大きな揺れとTEL。
長野県栄村、新潟県十日町市 津南村ではそれぞれ震度6強 6弱。
幸い大きく揺れたようだが被害らしい被害はなかったとの連絡。
大地震のことが気になり、気持ちは落ち着かないものの如何にも仕様が無く
朝食終えて京都散策。
全長118m 本堂中心に像高3mの千手観音坐像、その周りの1001体の
千手観音立像、そして何れも国宝の観音二十八部衆。
弓道の通し矢でも有名。 *ジィ~ジは半世紀前から、今回で三回目。
震災で亡くなられた方々のご冥福と、更なる被災拡大無きようにと念じながら
数珠を手にかけ拝観。
拝観中に外国に住む長男の嫁さんから安否を気遣って携帯に国際電話あり。
正直 嬉しく有り難く思った。
三十三間堂の次は道すがら 豊臣家滅亡のきっかけ 方広寺
(写真 左) 方広寺梵鐘
(写真 右) 大仏殿石垣
方広寺の梵鐘は、初めてのジィ~ジです。
梵鐘の銘文から“国家安康”“君臣豊楽” よくもまぁあんな小さな字句を
見つけたものと驚かされます。(クリック拡大 白く囲まれています)
この梵鐘 高さ4.2m 外径2.8m 厚さ0.27m 重さ何と!82.7t
東大寺・知恩院と日本3大名鐘の一つ。
今回の京都 あくまで納骨が目的で特にどこの観光と言う明確な予定は
なかったのですが、未だ足を踏み入れたことが無かった比叡山だけは
是非とも行ってみたかったジィ~ジです。
ホテルをチェックアウトして比叡山延暦寺へ。
(写真 左) 根本中堂へ
(写真 右) 比叡山延暦寺概要説明板 根本中堂
初めての比叡山根本中堂。
日本仏教の母山とも崇められる寺院。1200年を超える歴史の中で
ご本尊安置される石敷きの内陣で読教 修法する様子や、伝教大師最澄が
灯され今日まで消えることなく輝き続ける『不滅の法灯』など目の当たりにし、
ある種、身震いするほどの感銘を受けたジィ~ジです。
比叡山延暦寺から次に向かった寺院は 大原三千院。
(*平成8年以来2度目) 境内の石仏
阿弥陀三尊と極楽浄土の様子が表現されています。(撮影不可)
大原三千院を後にして次に向かったのは。 西田幾多郎先生 思索の道
その先に 慈照寺(銀閣寺) *3度目
銀閣寺
(写真 左) 境内の庭
(写真 右) 国宝 “東求堂” 慈照寺(銀閣寺)全容
徐々に夕やみ迫る。
今回は当初の予定で京都の風情を感じたく2泊目は敢えて、ホテル泊でなく
片泊まりの宿を選定。場所は法然上人縁の吉水 (円山公園近く)
夕食を取るべく、円山公園から高台寺 ねねの道 また祇園周辺散策。
(写真 左) 八坂神社舞台 祇園舞妓さんお手踊り
(写真 右) 八坂神社
京都のおばんざいで少々のアルコールも頂くが、大震災のこと、更に
関連しての原発事故、一方では自分もそうであるが、周囲は普段と何ら
変わらぬ様子。何もなすこと出来ないが酒の酔いも回らず、気もそぞろの
感は否めない。
3月13日(日)
この日は、新潟へ戻る日。
早朝、朝食前に片泊まりの宿周辺散策。
宿から暫く歩けば、日本三大梵鐘 除夜の鐘でしばしば放映される巨大な
知恩院の大梵鐘。これほどまで大きな重量の鐘を如何にしてこの高台へ?
浄土宗総本山 知恩院 *三度目
知恩院の山門から長い急な階段を下り、朝の祇園へ・・・ 祇園白川
(写真 左) 祇園白川 芸妓舞妓立ち寄る辰巳大明神
(写真 右) 祇園白川 巽橋から
春は枝垂桜で有名な場所。
早朝の散策を終え、片泊まりの宿で朝食を頂き、宿の前で解散。
船橋へ、我らは新潟へ。
ラジオで地震の様子を聞きながら、一路 新潟へ 新潟へ・・・
途中 尼御前SAでお昼を取り、4時前に長岡到着。
仏壇にお灯点けて、無事納骨終えたこと、震災で亡くなれた大勢の方々の
ご冥福を祈り合掌。
三日ぶりに自宅へ戻る。幸いにして我が家も地震の被害なし。
(被災された方々には申し訳ないものの正直 安堵)
11日~13日 覚え書き (完)
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コメント
赤鬼さま
今回の京都行は昨年の暮れに決めていたけど、まさかその最中に今回の大惨劇とは!
彼方此方回っては見たけど、気持ちはチグハグ 震災原発関連落ち着いたら
来年にでももう一度ゆっくり再訪してみたいもの。
明日何処へ行くつもりだったの?
本当にストレス貯まるねえ。何時になったら?
投稿: 輝ジィ~ジ | 2011年3月25日 (金) 06:58
京都は新婚旅行と結婚25周年で行ったし、仕事でも何回か訪れている。懐かしい。原発事故中々修まらないね。毎日やきもきしてるよ。
また雪が降りやがった。明日予定していた山も中止した。益々ストレス溜まるわ。
投稿: 赤鬼 | 2011年3月25日 (金) 06:23
tuba姐さま
京都は50年前から今回まで延日数30日ほど滞在しているのですが
まだまだ見たいところ、見ていないところ多々なので、何度でも
訪れたい場所でもあります。
真夏以外いつ行ってもそれぞれ違った顔を見せてくれますね。
歴史と素晴らしい日本文化を味わうことができます。
何度でも訪れたく思っています。
写真 姐さんが撮ればもっと素敵かも・・・
投稿: 輝 | 2011年3月24日 (木) 14:19
山いろいろ さま
そうだね!電話貰った時は三十三間堂でした。
お蔭さまで被災地には申しわけないものの、新潟の様子が解って
気分が落ち着きました。
今回の京都、贅沢かもしれないけど震災で気もそぞろ。
落ち着いたら改めて又、ゆっくりと彼方此方歩いてみたいもの。
山さまも奥様孝行で、是非 是非お出かけを。
投稿: 輝ジィ~ジ | 2011年3月24日 (木) 14:14
ツワーコンダクターさんのよう!
流暢な説明とコース案内(*^ー゚)bグッジョブ!!
映像は絵葉書かと思いましたyo~
遠路、大役お疲れさまでした。
投稿: tuba姐 | 2011年3月24日 (木) 12:38
数々の風景、こちらも京都見物させてもらったような気分です。
何度も訪ねている京都ですが、意外と見ていない寺社が多いもの、願わくば、地震などなく心平穏に見物できる時に、愚妻など伴って見物させたいものと思っております。
そう言えば、野暮用にて電話した折は、三十三間堂ご見物中だったような・・・・地震ほどではないにしろ、お騒がせで申訳のない事でした。
投稿: 山いろいろ | 2011年3月24日 (木) 11:59
もうぞうさま
京都滞在中にまさかこんな大震災が発生するなんて、此れこそ
想定外と行っても許されるのではないでしょうか。
半世紀前から数え、京都は延べにして30日くらい行ってますが、
未だ見てないところが一杯で興味尽きません。
機会を見て何度でも…と。
投稿: 輝ジィ~ジ | 2011年3月23日 (水) 20:46
輝ジィ~ジさま、日記は続きませんけど、ブログなら不思議と続きますからね~
継続は力なりですから、無理のない程度にお互いに続けましょう。
京都は良いですよね~
また行ってみたいものです。
投稿: もうぞう | 2011年3月23日 (水) 19:32