1昨年に続き、2度目の九州遠征も当初の目的を終えて終盤となります。
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長崎自動車道は川登SAで車中泊のジィ~ジと相方。
この日は、まだ一歩も足を踏み入れたことの無い長崎県に入ります。
6月3日(木) 晴
諫早ICから長崎バイパスへ、そして長崎市に入ります。
長崎初めての訪問なれば、先ず平和公園が必定。
平和公園駐車場に車を停めます。パーク&ライド駐車 600円/日
早速 平和公園に向かいます。
先ずは 願いのゾーン
8時30分 祈念像の前では修学旅行高校生の素晴しい混声合唱。
ジィ~ジと相方、合唱聞きながら祈念像の前で黙祷を捧げます。
恒久平和を祈る唄を合唱する高校生。
感動したジィ~ジ 思わず謳い終わった女子高校生に
「とても感激したよ」と声をかけると「ハイ、一生懸命練習してきました」
小学校 中学校 高校数多くの修学旅行生がバスガイドさんから原爆・戦争の
説明を受けています。
長崎の鐘
浦上刑務所跡や平和のモニュメント そして平和の泉…
子供達や孫たちの為にも平和を願わずには居られません。
そして原爆が投下された中心地の方へ向かいます。
祈りのゾーン です。 被爆中心地近くの浦上天主堂へ。
浦上天主堂
奇跡的に発見された被爆マリア像や被爆時の悲惨な残骸が残されています。
原爆関連最後は 学びのゾーン 長崎原爆資料館地区です。
当時の資料が数多く残され、修学旅行生もノートをとったり真剣に
戦争 特に核爆弾の恐ろしさを学習しています。
この日に学んだこと。大人になっても忘れないで欲しいものです。
ジィ~ジと相方 平和で健康な吾が身に感謝しながら次に向かいます。
日本史の様々な出来事にしばしば舞台として搭乗する長崎 見所満載。
最初は、日本最古の木造ゴシック様式の教会 国宝 大浦天主堂
大浦天主堂
二六聖人に捧げられた天主堂 修復されたとは言えステンドグラスの見事さ。
ジィ~ジ 所謂 (熱心では無いものの)〝門徒〟です。
しかし洋の東西 宗教を越えて厳粛な気持ちを覚えます。
入口付近で 女子高校生のちゃらちゃら集団 口々に大声で
「これ な~に?」 品性の欠片も感じません。
日頃 他人様に文句・苦情など言ったことの無い相方
「ここは教会ですよ! 」 ジィ~ジも吃驚。
次は日本の夜明け?に大きな役割を果たしたグラバー氏や9棟の歴史的
洋館が並ぶ、長崎港を見下ろすグラバー園
グラバー園の様子。
グラバー 邸内に隠し部屋もあり 流石 政商 グラバー!?
坂本竜馬との関係 真実は?
グラバー園併設の資料館には 長崎おくんち の出し物展示
長崎くんち 諏訪神社大祭 出来れば見て見たいものです。
原爆関連の地、更に観光名所をゆっくり歩き、気付けば既にお昼。
空腹を覚えます。お昼は長崎チャンポンではなく、敢えて皿うどん
太メンと揚げ細めん 量もたっぷり おまけに発祥の店。美味。
(写真 左) 龍踊
(写真 右) 皿うどん
長崎 他にも眼鏡橋や龍馬の亀山社中記念館、オランダ坂…等々
興味有るところ多々あるものの、生来セッカチなジィ~ジ 九州最後の
宿をどこにするか気になりだします。
勿論 どこにするか決まっていないので予約なんかしてません。
先ず どこにするか相方と相談です。
ジィ~ジ 少しでも帰り道に近いところで 嬉野温泉 OR 武雄温泉
相方 折角来たのだから 島原半島 雲仙温泉
結論 当然?泣く子と何とかには勝てません。 雲仙 決定です。
この時間から行って宿取れるのかなぁ?(ジィ~ジ内心)
午後3時過ぎ、雲仙の観光センターに立ち寄り宿を探して貰います。
受け入れしてくれそうな宿は2件、条件提示で今宵の宿が決まったのです。
宿が決まればまだ時間はたっぷり 雲仙=普賢岳 平成新山
仁田峠循環道路 で普賢岳 目指します。
展望台から眺める 左 普賢岳1359m. 右 平成新山1486m.
目を転ずれば、島原湾越しには熊本方面
島原半島は ジィ~ジの住む新潟県の糸魚川市、北海道有珠山・洞爺湖と
一緒に日本最初の ユネスコ世界ジオパーク認定箇所です。
普賢岳標高が下がってきてるとのこと
ミヤマキリシマ満開の仁田峠 バックは普賢岳
普賢岳 ロープウェイ利用しないでも片道2時間弱では登れそうなれど
登山支度しておらず断念。(折角の機会逃して少し心残り)
普賢岳を後に今宵の宿を目指します。
観光センターで紹介されたホテルは、元禄時代創業の老舗 Yホテル
今の時期 更に平日の所為か?どこの宿も思ったより客は少ないようです。
世の中不景気も影響して居るのでしょう。 客商売大変です。
このホテルも同宿は数組、他に団体の老人会ツアーのみ。
飛び込みにも拘らず、我らのために会席料理が並びます。
夕餉の料理の一部 このほかにも何品も出てきます。
地物の海老料理が2種類 地元の温野菜 etc etc
勿論 地の焼酎もオーダーします。 オーダーしなかったものの地元名産
じゃが芋の焼酎もあるとのこと。(どんな味がしたのだろう?一寸後悔)
たまたま 雲仙で一番古い歴史を持つホテル多くの文人墨客が訪れ
歴史を感ずる昔の宿帳なども展示陳列されてます。
泉質は語るに及ばず 湯治で名高い 雲仙 です。
二人だけのプチ宴会を終えて、雲仙地獄へ出かけて見ます。
活動中 雲仙地獄
散歩から帰り、酔い覚ましに再び風呂へ…
部屋に戻って寝床でTVを見れば、奇しくも19年前のこの日
時速100㌔と言われる火砕流で43名の死亡行方不明者がでた日に
当たり雲仙市では追悼行事が催されたことが放映されています。
これも何かの縁でしょうか?
6月4日(金) 晴
九州とお別れの日がやってきます。
朝食終えて、再び雲仙地獄散策するジィ~ジと相方です。
雲仙地獄 至る所で熱湯噴出
この日も特に予定は無くゆっくりスタートで良いのです。
ホテルでチェくアウト 部屋は少し古かったものの料理の割には極めて
Reasonableな請求です。
(こんな料金で経営持続できるのだろうか?他人事ながら心配)
雲仙岳を下り、再び諫早IC 長崎自動車道~九州自動車道を辿ります。
名残惜しく九州最後は門司 めかりPA ここでお昼とします。
門海峡 対岸は下関
ゆっくりとお昼を取り、壇ノ浦や巌流島 しばし往時を想像するジィ~ジです。
とうとう九州とお別れです。
関門橋渡ればアッと直ぐに下関、中国道~山陽道
夕食は西宮名塩SA 食べ終わり外を見ればもうどの車もライトを点灯。
今宵も車中泊 別に予定は立てていません。
遠征最後の宿泊場所 名神 多賀SA に決定です。
車に寝場所をセットする二人です。車中泊結構慣れてきた感じです。
6月5日(土) 曇
多賀SAで朝食を取り、後は自宅に向かうだけです。
ジィ~ジ現役時代 高岡市で4年勤務の経験あり。その間 福井 石川県は
何十度なく彼方此方行った事があるのです。
その感覚が染み付いているのか?米原JCを越えて北陸道に入った途端
もう富山はおろか新潟も直ぐ近くの思いがするのです。
運転にも慣れ親しんだ道!?余裕が出ます。
長かった8泊9日九州遠征の旅 数々の思い出と共に無事予定終了。
午後1時 我が家へ到着です。
九州遠征山歩き22 これでお終い。
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